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ボーグに同化されて施された左翼教育から覚醒し、自己をとりもどした「人間」のブログ

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フェレンギの憂鬱
我が敬愛するクリンゴン戦士のところには日々、憂国の想いがつづられているが、私も少し身の回りのことを書いてみよう。

私の友人のフェレンギ人の話だ。
彼はかつて、地球で、大手の関連会社を経営していたが、きわめて有能な男だった。
惑星連邦にも強いコネクションを持っており、
無論、経営者の常で、自分の実力を信じており、地球が不況に襲われても彼はレガシイな手法で乗り切れると思っていた。
3年たってかれはスッカラカンになっていた。
私は彼に告げた。
「この不況はプロトカルチャーのプログラムしたもので、簡単には解決しないよ」と

最近になって彼は地球でのビジネスをあきらめ、カーデシアに新天地を求めた。
私はまた彼に告げた
「カーデシアはまもなく崩壊する、政府筋に関係している事業は危険だ、アンドリアぐらいにしておいたほうがいいのでは?」

だが、彼は「フェレンギのユニオンが資金を出してくれるし、一発あてたらリタイアするから大丈夫だ」と言って、カーデシア星系をとびまわっている。

カーデシアにいるときはオカンパの少女を現地妻にして、若干、腰を落ち着けてやっているようだ。
フェレンギ人は大きな耳をもっており、女に耳をなでられるのを無上の幸福としており、酒場でも何人も女をはべらせている。
カーデシアというのはとんでもないところで、ビジネスの席でも平然と愛人同伴で現れたりする、不思議このうえない連中が集う場所だ。

で、フェレンギ人がパワートークをしている間、女同士でゲーム(麻雀か?)に興じていたりして、パティオを形成しているそうだ。

或る日、彼が言った。
「One of Three、カーデシアというところは退屈極まりない所だ、あそこには文化というものが無いんだよ。」
「地球ならどこにでもある文化が、手に入らない、たとえば、このパイプだ、」
彼は手に持ったパイプに火をつけながら続ける
「ほら、こうしてコンパニオンで押さえないと、すぐにひが消えてしまうだろう・・・」
私が相槌をうつ
「そりゃ、そうだ、パイプには絶対に必要なものだからね、だからこそコンパニオンって云うんだ」

「ところがね、カーデシアにはコンパニオンが無いんだよ、マネでパイプを咥えている奴はいるさ、だが、コンパニオンで押さえないからしょっちゅう消えてしまって、ジタバタしているってわけさ」
「へー、なんて恥ずかしいやつらなんだ」

「一事が万事、そんな具合なんだ、オレ、一週間くらいならいいけど、半年なんて住めないよ、オマエ、カーデシア語話せるだろ、代りに行ってくれないか?」
「やだよ、あんなアブナいとこ、命がいくつあってもたりないよ、オマエもはやく足を洗えよ」
「惑星連邦の崩壊も間近だし、逃げたいんだけど、リタイアするには絶対にひとやま当てないとダメなんだよ」
「アンドリアの資金だって不安定だし、ヴィディアともヤバいし、今はこれしか無いんだよ」

「地球にいて、防衛隊の仕事なら増えてるじゃないか」
「オレ、マルボーは苦手なんだよ、民生の半導体でなくちゃ、プロデュースできない、世界が違いすぎる」
「ふーん、まあ、死なない程度にがんばれよ」

彼が成功してハッピーリタイアするチャンスは万にひとつも無いだろう・・・



さて、トレッキーでない読者には意味がわかりずらいと思うので、次のように読み替えてみれば理解しやすいだろう。

惑星連邦=アメリカ
地球=日本
アンドリア=韓国
フェレンギ=商社
カーデシア=中国
オカンパ=少数民族の現地人
ヴィディア=北
スリバン=創価

これ、意外といいかも、この凡例はまた使いまわすことにしよう。

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紀元節・雑感
今日は紀元節だそうです。
いろいろ、異論はあると思うが、すこし雑感を

ホツマツタヱ研究家の池田満先生のところを見ると、建国の日としては8代アマカミであるアマテルによる富士山南麓のハラミの宮でミヤ開きをした、旧暦3月1日がふさわしいとのこと。

この方は非常によく研究されているのだが、入門者には難解すぎる。
初心のものは、びーちぇさんの所が最適と思われます。
まず、絵が綺麗!
そして、ヤマトコトバに対する細やかな思い入れがうかがえます。
なにより、愛にあふれている。

ヲシテの研究は着実に進んでいるようです。
しかし、世間の認知度は低く、まだまだ、これからといったところでしょうか。

聖徳太子の時代であろうか、東国に関する記録はことごとく焚書にあったと考えられます。
焚書が考慮される場合の歴史の考証は直球勝負はできない。
かならず、ミッシングリンクを加えて考える必要があります。

この、富士山南麓というのが、難しい。
酒折の宮というのも、甲府に近く、ハラミの宮と同一といわれても、完全には符合しない。
ここで、愚かな者は騙されて「偽書では?」などと言い出すのである。
まだ、未発見のミッシングリンクがあるのです。

南にシビレウミがあるという記述も、謎を秘めている。
蛭ヶ岳の近くに四尾連湖というのがあるが、本栖湖よりも北にあり、符合しない。
「四尾連」という万葉仮名のような表記も怪しい。
焚書の際には後世の人が混乱するようなことを予め仕込んでおくものだ。

だから~、歴史学者にまかせといちゃ、ダメなんじゃない?といいたいわけです(私の身内にも一人おるが)

で、建国の日かどうかはともかく、神武天皇即位記念日である紀元節を祝うのは大いによろしいのではなかろうか。


以下、てっくさんのところからの引用

紀元節を祝おう

講談社のEncyclopedia of Japan見て、ブチ切れそうになった

Kigensetsuで引いたら、こんな見出ししか出てこん

Kigensetsu controversy

Post-World War II debate over the revival of Kigensetsu (see kigen; now known as Kenkoku Kinen no Hi, or National Foundation Day) as a national holiday. There had always been an argument as to the validity of dating the founding of Japan from the legendary enthronement of Emperor Jimmu in 660 BC. In 1872 the leaders of the new Meiji government had officially adopted this dating. By declaring in 1873 that the 11th of February would thenceforth be a national holiday to commemorate the founding of the Japanese empire, they hoped to give further legitimacy to the imperial institution. In 1948 the kigen system of dating and most traditional holidays were abolished; Kigensetsu in particular had come to be associated with the 《emperor system》 and with the excesses of nationalism during the pre-World War II period. Therefore, when Prime Minister Yoshida Shigeru advocated the revival of Kigensetsu in 1951, there was strong opposition, especially from leftists and intellectuals. Nevertheless, in 1966 a bill was passed declaring 11 February a national holiday, Kenkoku Kinen no Hi.

cKodansha

野間一族、恐るべし・・・いっぺんシメたろか?



ん~、私にはexcessesってとこがピキッときましたが。
まぁ、いつの時代にも自分が本当に属する母集団に忠実なのが売国奴の正体ですな。

というわけで、(どこがじゃ)用はないけどさらしアゲ
小泉

てっくさんのとこからのパクリなんで、問題があったら消します。
(もっとも、売国奴に肖像権があるとも思えず、このてをさらすのは国民の義務なので)

とうがらし一味
小泉一味の動きが不穏だ。
どんな汚いことでもやりかねないな。

赤く染まるリトマス試験紙、読んでね。


逆賊については、生涯私は敵と看做すし、後で改心しても決して許さない。



キター! 三輪節ぃ~!!

やいやいやい、売国奴ども、クリンゴンの戦士に目くらましなんぞ通用しねぃゾ!

はよ、半島に帰れや


これはおめでたい
奉祝 秋篠宮妃紀子様御懐妊

宮内庁にあっては、いささかも粗相の無いよう、10月まで、心してかかられよ。

(まず、創価などの不穏分子を追放することじゃ)

チョサラムン トンデモョ
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/5314/

もー、たまらん、まぁ読んでよ
これ、爆笑、やってらんない

いえね、てっくさんのとこで真名さんのコメントにあったのを読んでみたわけ。
「百済書記」っていう小説なんですが、これがモノすごいトンデモなんで思わず吹き出しちゃいました。

愛子様と韓国青年の恋を描いた不敬極まりないもんなんですが、示唆的で面白いのでアゲ。
ぃやー、もう、百済人最高☆

もう、てっくさんは国士認定!
ひとつ前のエントリで貼らないと言ったんですが、うちのカミさんにちょっといじってもらって、なんとかなりそうなんで、てっくさんの記事を貼ります

以下転載


男系(男子)による継承の素晴らしさ

男系(男子)による皇位継承、その正当性を「Y染色体」だとか、「伝統」という人はいるけれど、
そっから先に踏み込んで書いてくれる人がいないみたいなんで、
あっしの独断と偏見で、「男系男子による皇位継承」の素晴らしさ、美しさを書いてみる
女系容認=直系継承の危うさもちくっとね

自民党の武部幹事長が「女系容認」を「陛下のご意志」と吹聴して回っとるとか、
細田前官房長官もそういったことがあるとか


果ては、小泉首相もそんなこと言ってるとか・・・風聞は絶えないけど、あっしは一切気にしない
それは、陛下のお立場ではそんな話を「否定するお言葉」すらおっしゃることはできないし、また、そんなことをなさる方ではないと言うのもあるけど、それ以外にこれから述べることとも関わってくる

さて、前置きが長くなっちゃったけど、覚えておいて欲しいのは、
「男系男子による継承」が125代にわたって受け継がれてきたと言うことは、
とりもなおさず、皇位継承は直系継承(相続)主義じゃないってこと

さて、なんで我が国は、というか、ご皇室は直系優先でない継承の在り方をとられてきたのか?
実は、これが一番大事なことなんじゃないかと思う
で、そこんとこを考えてみることが、今後、千代に八千代に受け継がれ、守られていくべき皇位継承の大原則につながるんじゃないかな

そりゃ、歴代の陛下だってご自分の子供は可愛くないわけがない
子供が男だろうが女だろうがその子に即位をさせたい、下々の者がするように、養子をもらってでも自分の直系に相続をさせたいというお心があったかもしれない

でもね、125代という気の遠くなるような年月にわたる皇位の継承は「男系」による継承が行われてきた
これは、厳然たる事実

つまり、畏れながら言わせていただくとすれば、歴代の天皇は「(ひょっとすると)私情をも押さえて」直系優先ではなく、先代に遡ってまで、「男系」(男子)に皇位を継承なさってきた

天皇陛下といえども男子がいないとき、あるいは男系継承が危ぶまれるときにはご自分の子供に継承おさせにならなかった
自らのお子である直系による継承を否定されてまでも、ご大切になさってきた「原理原則」というものをそこに見ることができないか?

臣たるあっしが慮るのも畏れ多い事ながら、こうだったんだと思う
スメラミコトの座、皇位というものは、皇祖皇宗つまりご先祖様からの継ぐものであり、子孫からの預かり物
天皇たる自分であったとしても、自分の代で自由にできるものではないと、
こうお考えになってこられてきたのではないかと思う

もちっと分かりやすく言えば、あえて直系相続ではなく男系男子という制限を設けることで、
何世代か毎に直系男子、直系男孫の不在により先代、先々代に遡って傍系に皇位が移るという仕組みをつくって、その時に君民(臣)ともに先祖から受け継ぎ未来へ繋ぐという皇位の意味、役割と、それを積み重ねてきた万世一系の重みを再認識し、天皇への想い、つまり国を大切にする想いを一層強めて来られたものなんじゃないかと

おおみたからとあめのした-みなさんに問いたいってエントリ、読んでない人には読んで欲しいし、田中卓センセや小泉さんにも聞かせたい

神武天皇は国民のことを一つ屋根の下(八紘一宇・あめのした)の大宝(民・おおみたから)とお呼びになった

神武天皇「即位建都の詔」にあらわされた日本建国の理念ってのは、出雲井 晶 さんによる現代文ではこうなる


このうえは、天照大神のお心にそうように、
大和の国のいしずえをしっかりしたものにするように、
おたがいにゆたかな心をやしないましょう。
人々がみな幸せに仲良くくらせるようにつとめましょう。
天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、
一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか。
なんと、楽しくうれしいことだろうか。

重ねてここでももっかい言う

この日本と言う国、一つ屋根の下に住まう我々、
祖先から受け継いで、子孫から預かってるこの日本の国柄、伝統
先の大戦の時なんかは、それこそ、それを守るために一命を賭して散っていかれた英霊が靖国にいらっしゃる
その、大事な大事な、命懸けて守られてきた、日本の国柄、国体、伝統を
我々の代で、たった一代で勝手に変えて、次代には何も残せなかったら、
後世の子孫は、我々の先祖は、何て思うんだろうね

小泉さんの言ってるように、「女系容認」しちまうってことは、とりもなおさず、
ただ今より、我々の代より、
皇位継承が「直系相続限定」になっちまうってこと
そこには当然、既得権とか、邪な心をもった輩のご皇室への接触を否定しきれなくなっちまう

ご皇室のご先祖様が、そして、あっしらのご先祖様がずっと守りつづけてきた「男系」(男子)による継承だと、
今後も直系男子、直系男孫なきときには、「直系相続」が許されない
こういう継承制度だと、皇位も既得権じゃなく、先代から受け継ぎ、子孫から預かる立場であるという役割認識と責任感、抑制的な美学ってのが生じてくる

こうした継承(相続)のしくみによる意識の違いは、とっても大きいよ
これは、ご皇室(君)の側だけでなく、あっしら民(臣)の側も同様に感じるし、
それゆえに、「私」優先でない陛下、ご皇室(君)を誇りに思い、守っていこうという意識も強くなるんよ

おおみこころを疑うような継承制度は作っちゃダメだよ

ならぬことはならぬのよ

「守るべきことは断固、命をかけて守らなければならない!」

先祖代々にわたり君民(臣)、みんなの生命の連鎖、そして想いの連鎖によって育まれてきた、我が国の価値・・・心の在り方を、あっしらは今の世代として預かり、未来に継承していく役目、
それを忘れちゃいけないよ
ご先祖様への、そして未来の子供たち・・・子孫への「責任」だよ

ご皇室ってのは、まさにその象徴


今の世代のあっしらの都合で左右することは断じて許されない
 
 
 
その他のエントリ
皇室が女系を望んでおられるというデマ

喪われたもの

万世一系の重み


※上記エントリであっしが最期に言った「象徴」ってのはこういうことね、念のため
制度としての「象徴」じゃないよ

[天皇]とは象徴としての尊厳を有される存在であり、その象徴とは以下のような意味合いを示す

[国旗]       [天皇]
物質象徴       人格象徴
制定象徴       自性象徴
約束象徴       本来象徴
標識象徴       体現象徴
複数象徴       唯一象徴
可替象徴       絶対象徴
偶然象徴       必然象徴


あっしの説明している天皇の概念は死を免れない自然人である天皇に即して
immortal, eternalな"象徴"としての天皇



以上、転載

で、アメリカの大統領なんかでは演説による「熱狂」を利用して観衆を誘導するのが主流で、私はそういうの認めてないんですが、天皇陛下はそこに存在するだけで日本を想う臣民に「静かな熱狂」を与えることができるわけです。
ここが並みの元首との違いになるわけです。
というわけで、こういうアジテーションは大歓迎なので、以下はリンクまで引き継いでしまう。

おまけ
国会開会式で心引き締まる


 二十日の第百六十四通常国会の開会式を傍聴させていただきました。

 登壇一分前になると、天皇陛下をお迎えする心がひとつになって、ざわめいていた議場が静まり返りました。

 正面の重い扉が、ぎしりと音を立てて開き、天皇陛下が登壇されると、議場はきしむかのように圧縮された空気が漂いました。あの一瞬こそ、日本の形、伝統と文化、皇統への崇敬の表れではないでしょうか。身も心も引き締まって、澄んだ肉声の天皇陛下のお言葉を拝聴しました。このお言葉は陛下の祈りではないかと感じたとき、胸が張り裂けるようでした。


FROM NORWAY北欧生活彩時記さん
天皇皇后両陛下,トロンハイムご訪問


普段特に愛国心のない私ですが,両陛下にお目に掛り,
何とも言えない胸を突く様な日本への思慕の念に駆られました。
やはり日本の象徴である両陛下,特別なオーラをお持ちでした。



皆さん、売国奴を追放して日本を守りましょうや。
 


わし、元サヨクだったけど今では陛下の赤子

米国製の映画(テレビドラマ、一部アニメーションさえある)「スタートレック」はバリエーションが多く、その想定した時代によって大別されます。

22世紀
「エンタープライス」(これがいちばん新しい製作ですが、これ以降、資金調達で苦労しており、最後の作品になると危惧されております

23世紀
初代「宇宙大作戦」

24世紀
「ネクストジェネレーション」
「ボイジャー」
「ディープスペース9」

ま、大別すると、こうなるんですが、私は個人的にディープスペース9が嫌いなので、見ないことにしております。
どこがどう嫌いかというと、荒唐無稽な民主主義を、金科玉条のごとくふりかざす野蛮なアメリカそのままな人間の描写が嫌なのです。
あと、映像的にも、全編にわたってソフトフォーカスのようなカメラも嫌味な表現に思えます。
スタートレックの妙味というのは、ほとんどの宇宙人が「ヒューマノイド」であるということに尽きます。
まあ、多少はベム(Bug Eyed Monsterの略、虫みたいな目がいっぱい付いているような怪物、はやいはなしがSF用語ですな)も出てきますが、そういうことです。
つまり、民主主義にこだわるアメリカ人は24世紀になっても、あいもかわらず闘争を繰り返すしかないということでしょうか。

さて、登場する宇宙人のほとんどがヒューマノイドであり、男女があり、交配可能であったりすることから考察して、作品の性格で分類した場合、スタートレックは「プロトカルチャー物」に含まれていることになります。
プロトカルチャーというのは遠い昔に、ある宇宙域にいる宇宙人が同一の祖先を持つか、あるいは同一の造物主を持つという流れをもつジャンルであります。
アメリカでは、最近になって、ダーウィンの進化論を修正して、これまでの神とは異なる、造物者の意思を進化の「タネ」とする論が台頭しておるようです。

さて、トレックですが、民主主義の止揚から、ボーグのクイーンを引き合いに出して、(おそらく君主制をいいたいんだと想像しますが)きわどいところで、最後には民主主義が勝利する、なんて底の浅いことを考えているようです。
若干、話はサイバネティクスの方へと、ずれてしまいますが、ボーグの集合体というのは、クラスタによる情報共有ですので、P2Pファイル交換(たとえば、WinnyとかSkype)のようなものです。
各端末(ここではボーグのドローン)からクラスタコアまでの距離はネットワークのどこにいても等距離になりますので、クイーンのような統括的な存在が権力を持っているというのは無理があります。(Skypeのスーパーノードみたいなもんでしょうか?)

翻って、現実の天皇制では、天皇が祭祀の頭である法王と政治の元首を兼ねておりますが、これを立憲で制限した現代の日本は立憲君主の理想的な形ということになります。
我らの戴く天皇制は、統合の象徴である天皇を頂点としますので、24世紀になっても制度として勝利する見込みの無い大統領による民主主義より、はるかに優れていると言うしかありません。
こう考えると、日本の自衛隊が専守防衛であるのは、敗戦によるというよりは古代から受け継がれているもののように見えてきます。
なにしろ、これまで2000年以上(多少のストレスはありますが)続けることができているわけですから。

たとえば、政治の中枢で蠢いている売国勢力を放逐すれば、憲法9条を変えるまでもなく、専守防衛のみで平和を維持できそうなきもします。
(これとて、BSEの安全委員会のごとく、売国勢力に翻弄されては、なんの結果もだせないことは明白ですが)
逆に、憲法を改正して国防軍としたとしても、売国奴の手に落ちた政権は、より危険なものに変貌してゆくことになりますので、左翼に組せずに護憲という綱渡りが要求されることになります。

くだらん前世紀の民主主義で日本を解体されちゃかなわんし。
まず、必要なのは「売国奴放逐法」ではないでしょうか。
(それを悪用されて、国士が追放されてしまう悪寒・・・)

てっくさんの、サヨクによる天皇「制」廃止戦術論を参照していただきたく。
(一つ前のエントリで真名さんとこの記事を貼ったら、フォーマットの都合で妙に長くなってしまったので、うまく解決するまで貼らないことにします)

やはり、てっくさんは良くわかっていらっしゃる。

天皇陛下の参拝自体は良いと思うが・・・
先帝陛下のことを考えると、心苦しくなります。
以下はSpeak Easy 社会からの転載

天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番
と麻生外相が発言されました。 時事問題は扱わないつもりでしたが、小泉政権に揺らぎが始まったこの時期に、何かのターニングポイントに見えるので、アップしておきます。 今回はテキトーな感想だけです。

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http://www.so-net.ne.jp/news/yomiuri2/politics/html/20060128i213.html

▲「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」…麻生外相



麻生外相は28日、名古屋市で開かれた公明党議員の会合で、靖国神社参拝について

「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」

と述べ、天皇陛下の靖国神社参拝を実現することが望ましいとの考えを示した。

 そのうえで、

「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」

と語った。

 首相の参拝に関しては、「外国から言われて決めるのは絶対通ることではない」とし、

「靖国問題が終わったら、日中間の問題がすべて解決するわけではない。隣の国なのだから、ある程度緊張感を持ってやっていく以外に方法はない」と述べた。▲





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060129-00000054-jij-int

▲ 麻生外相「極右の立場代表」と非難=「天皇の靖国参拝」発言で中国新華社

 【北京29日時事】中国国営新華社通信は29日、麻生太郎外相が28日に天皇陛下の靖国神社参拝を実現すべきだとの考え方を表明したことについて、「日本の一部右翼は一貫して天皇陛下の靖国参拝復活を鼓舞しているが、麻生外相の発言は極右勢力の立場を代表したものだ」と非難した。 

(時事通信) - 1月29日19時0分更新



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060129-00000134-kyodo-int

麻生外相発言を強く批判 新華社

 【北京29日共同】中国の国営通信、新華社は29日、天皇の靖国神社参拝実現が望ましいとした28日の麻生太郎外相の発言を「こともあろうに天皇参拝を吹聴」との見出しで伝え、強く批判した。
 新華社電は、靖国参拝は日本の指導者が正確に歴史に直面していないことを反映した「厳粛な政治問題」だと指摘し、麻生外相は「中国が反対すればするほど首相は参拝をやめられなくなるといった詭弁(きべん)を使っている」と非難。
 その上で、麻生外相の談話は天皇の参拝を求める右翼勢力の立場を代表するものだと批判した。

(共同通信) - 1月29日23時7分更新▲





何で神社参拝の是非なんていうことが大問題になったのか、不思議といえば不思議ではあります。

まして村山談話、それを引き継いだ小泉談話は、中国にゴメンナサイという程度の内容であり、なんで中国が神社参拝をこんなに攻撃するのか、非常にひっかかるものがあります。



関連書籍を読んでみると、戦後長く、神社参拝など何の問題もなくとり行われていたそうです。

そもそも社会党もA級戦犯の合祀を要請したとのこと。

それが何か日中のシンボル的な政治問題にまで祭り上げられてしまっています。



私か知る限りですが、朝日その他がたびたび中国政府へとご注進に及んで、放火をして回ってきた成果であるということのようです。

朝日は、戦前、日中戦争を煽った前科があるので、信用できません。

戦後も、やってることは変わらないんじゃないのでしょうか?



去年春の反日デモは、日本国連常任理事国の問題があり、中国政府が煽った形跡があります。

しかし、今年の小泉首相の参拝のときには、それほど騒ぎになりませんでした。

 これは反日デモの結果、欧米日本からの中国への投資流入が細り、経済的破綻の可能性が見えてきたために、中国政府が方針転換したことが理由でしょう。

これは経済を少しでも見ている人なら当然の結論でした。

 (余談ですが、いわゆる左翼系サイトで、反日デモの再燃みたいなことを願望している文章を見ると、苦笑したものです。

もっとリアリスティックに見たらって)



中国にとっての緊急の課題は、日本の軍国主義復活などというお題目ではありません。

本当は、経済問題、そして農村問題、エネルギー問題、食糧問題、環境汚染問題であり、その根源的理由としての「長年の激烈な権力闘争に起因する公共意識の喪失」です。



かろうじて社会的紐帯をつなぎ止めていたと思われるコミュニズムは、事実上崩壊しました。



中国は、失われた公共性の代替物を反日イデオロギーに見いだそうとしているようです。

それは中国の出発点である毛沢東の辺境軍閥のイデオロギーでもあり、中華では伝統的な考え方です。



中華の反日はしたがって歴史的、根源的なものであり、靖国神社からA級戦犯をとり除いたりことにしたり(それは神道ではできないのですが)、靖国神社を整地して駐車場にしたとしたら、何か別の目標に向かって攻撃をしかけてくるでしょう。



一方、麻生外相の発言は、正論だとは思います。



三木首相のときまで全然平気で参拝できていたのに、突然できなくなるというのは奇怪なお話です。



首相ではなく、陛下が参拝なさってこそ、霊は喜ばれると思われますが,こうした事柄について推察するのは不敬に当たるかもしれません。 止めておきます。



個人的にはですが、前大戦の反省と再検討は、決して忘れてはならないと思っています。

大日本帝国は善玉だった、太平洋戦争には正当性があったという種類の言説には、私としては何となく違和感を持ちます。

未曽有の戦死者と被災者を出して敗北した原因-つまり「敗戦の責任」を徹底して国民が追求しなければならない-そう感じます。



連合国や左翼が言う「戦争責任」ではありません。

戦争責任なら、蒋介石やルーズベルトやスターリンにとってもらいたい。

人道に対する罪を問題とするなら、トルーマンとルメイとスターリンにとってもらう必要があります。

それを日本だけにとらせようと画策することは単なるリンチであり、文明とは遠い蛮行にすぎません。



そうではなく、なぜ中国で12年も戦争を継続する必要があったのか、私の想像を絶しています。

何のために大陸で戦争を続けていたのでしょうか?



何か馬鹿げた謀略にひっかかったのではないでしょうか?

「国家」について日本人に何か根本的な勘違いがあったのではないでしょうか?



そもそも満州国の建国は日本人にとって何かメリットがあったのでしょうか?

それ以前に、朝鮮半島に対してあれほど深入りする必要があったのでしょうか?

歴史に弱い私としては、アタマを抱えることが多いのです。



大日本帝国が悪かった、ゴメンだなんて話ではありません。



誰が見ても、大日本帝国の植民地は、世界の中で例外的に恵まれていました。

そのことを立証する書籍は履いて捨てるほどあるし、ブログすら多数あるので省略します。



また、いわゆる大陸での日本軍の残客行為とされているものも、多くは冤罪であることが立証されているようです。



私が感ずるのは、善悪や道徳の問題ではなく、知的な「戦略的な研究と見直しの必要性」です。



もっとうまくやる方法はなかったのか?ということです。

それを知的に研究し、資料と知見とを集積していき、その中で欧米中国のずるさと狡猾さと謀略とを明らかにしていくことが必要です。

つまり戦争研究のために多額の予算をつけ、人材を集め、資料を収拾し、自由かつ徹底的に研究を進める必要がある。



それはこの国の戦前支配層を引き継いだ戦後エスタブリッシュメントの責任です。 

庶民の責任だとは私は思いません。 権力者層、支配層の責任なんです。



それが敗戦責任をとるということです。

これから日本人が地球上で生きていくために゛どうしても必要なことです。



敗戦責任をとらずに、陛下だけに大変な仕事を押しつけようとしていないか、私はそれを危惧してしまいます。



http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060130ic21.htm

▲天皇の靖国参拝は「慎重に検討」…宮内庁次長

麻生外相が天皇陛下の靖国神社参拝が望ましいと発言したことに関し、宮内庁の風岡典之次長は30日の定例記者会見で、「(天皇陛下の靖国参拝は)その時々の社会情勢などを考慮しながら慎重に検討のうえ対処してきており、今後も同様に考えている」と述べ、同庁としては従来通りの姿勢で対応する考えを示した。▲





宮内庁はとりあえず従来通りの慎重な姿勢で様子を見るということのようです。



陛下は霊をなぐさめるために行かれる。

それを止めることはあってはならないと思う。



それと共に、陛下の参拝によって、エスタブリッシュメントは不明を恥じ、なぜ戦前に空前の大失敗をしてしまったか、なぜ欧米中国の謀略にひっかかってしまったのか、本気で決着をつけて後世の日本人に残さなければならない。

陛下を利用して「水に流して」はいけないと思う。





靖国は政治ブログでは好まれるネタなんですが、私は避けてきました。

最近は毎月行ってます。 遊びだけなら毎週のように行ってます。 九段近辺に私くらい詳しい人は、あんまりいないかもしれない。 食堂のメニューやみやげ物もここで一つ一つ解説できます。 それくらいなじみのある場所なんです。

私の男系(笑)の親族たちも靖国神社に祭られていることから-書くことに抵抗がありました。

だから他のブログみたいな威勢のよいことは書けません。 すみません。


以上、転載

政治的には麻生氏のいわれることはもっともだと思います。
私が気になるのは松岡洋右のことです。

佐藤清文コラム

これは転載しませんが、靖国の難しさがにじみ出ています。

すなわち、先帝陛下が松岡洋右は日本を開戦へと導いた大罪人と考えていたのではないかということです。
一つ前のエントリでも書きましたが、靖国神社は神道の神社であります。
もし、陛下の御心に沿わない逆賊を合祀してしまったとしたら、どうでしょうか。

もとより、神道では分祀という概念は一般的ではなく、分骨と同じように、御霊を分けて(増えます)他の場所でもお祀りするという意味でしかありません。
神道の教義では、御霊を廃棄するなどということは不可能なのです。
ひとたび合祀してしまった御霊は、特別に取り出したりすることはできないのです。

もし、できたとしても、先帝陛下の怒りにふれた方ですので、放置すれば荒魂になってしまい、処置にこまります。
これを解決しようとするなら、靖国神社とまったく同じ社を準備して、正しい御霊だけを分祀し、現在の社は封印して自然に寂びれるのを待つか、神学者にあらたな研究(ヲシテのように祖霊と一体化させてしまうような元素にもどせば可能だと思いますが)をしてもらって、特別な祀り方を創出するしかないでしょう。
それとも、先帝陛下が納得していないだけで、今上陛下の問題ではないと、頬かむりする、というのも考えられなくはありませんが。

いろいろ、調べてみると、松岡には「おごり、たかぶり」があったのは否定できないようですので、外国人に裁かれたA級などというのではなく、不忠の臣だったのでは、と思えてなりません。
百歩譲っても、靖国神社には病死した人を祀ることなど許されないはずなのです。

いま、小泉首相を合祀することをイメージしてもらえばいいのではないでしょうか?
他の方が納得されても、私には割り切ることはできません、単純に私の考え違いなら良いのですが・・・


靖国への想い
子供の頃、千代田区に住んでいたので靖国神社はきわめて身近な存在だった。
春秋の例大祭、夏のみたま祭りは毎年盛大に行われた。
立ち並ぶ夜店、白い服を着た傷痍軍人、夏の夜を彩る大輪の花火、千鳥ヶ淵の灯篭流し・・・
宝物館の遺品の数々、野ざらしに展示された大砲、さまざまなモニュメント。

小学生だった私は、ハトを捕まえたり、大村益次郎の銅像の台座に上ったりして遊んだ。(銅像の上まで登って落ちて頭を割った6年生がいたという神話とか)
ボーイスカウトに入っていた頃は相撲場でテントを張って飯盒で飯を炊き、訓練をした。
高校生になってからも、桜の下で田楽を出す茶店とか、授業を抜け出してデートしたりとか、そこには真っ黒な大鳥居がいつも身近にあった。

やがて、そこがただの神社でないことを知る時がきた。
靖国神社に祀られている御霊は「鬼」であることを。
彼らは不慮の死を遂げたのではなく、自ら死地に赴いた「護国の鬼」だったのだ。
神道では、魂にはふた通りあり、ひとつは和魂(にぎたま)、もうひとつは荒魂(あらだま)、そして慰霊などというのではなく、招魂と鎮魂が主たる儀式であることを。
平和な時には荒ぶる魂を鎮め、平和を維持するために安らいで穢れのない魂を招く。
戦時には、この護国の鬼を招いて祖国の守りとする。この場合、荒魂をそのま用いるのである。
英霊と一言でいってしまうのはたやすいが、神道は生命を超えて活きる、魂の宗教なのだ。
今、まさに日本の平和が危ぶまれているが、左翼が想像するようなちっぽけな感傷ではなく、国を守ることの難しさは言葉では尽くせないだろう。
それゆえ、靖国を参拝する遺族の想いは深く、複雑である。

A級戦犯を合祀したから参拝するな、とは笑止なこと。
靖国神社は神道の社なのだ。
ひとからげにして無宗教の慰霊施設にするなど、御霊と遺族の心を踏み荒らす行為にすぎない。
遺族や若い子孫である人々が楽しく寄り集まる「たかまち」が御霊の希求する「平和」なのだから。

昔、私が職を失っていた頃、親類の神官に言われた。
「おまえ、神道が好きなら、神官にならんか、無人の社をいくつか回って賽銭を集めてまわる宮司ならいつでもなれるぞ、あとは易者をしていれば食っていけるぞ」と。
だが、私は神官で一生を終わる気にはなれず、断った。
私はまだ若く、枯れていなかったので、まだまだ夢を持っていた。
いずれ、なんとかなる、と。

神道の祭祀は厳しく、そして優しい。
自然と一体に、などというNHK的な優等生の答えでは表せない「宗教」なのだ。

この神道を私の憧れだけにしておいて欲しい。
だが、妻子を守るためなら、私も「鬼」になりたいと願う。
売国奴どもは、今すぐ日本から出ていってくれ。

明るいビジョン
こんな良いビジョン、ずっとなかった。
どこかにある場所からの転載

「例えばこんな未来図」  <政治>皇統;・伝統・家族・まつり
 あれから30年。
 皇統問題で紛糾していたのも今は昔である。
 皇族に復帰された旧宮家(いや、宮家の方々と今は言うべきか)によって皇統の存続は安泰となった。
 新たに即位為された陛下の血筋は残念ながらこの時代で途絶えてしまう。それを寂しく思うときもあるが、尊き血筋を受け継ぐべき宮家の方々は今はおられる。かつて内親王殿下・女王殿下のみが御子の全てであられた時とは隔世の感がある。


 皇室典範改正が改悪であると知った多くの国民がその危惧を口に始めたのがきっかけであった。国会に提出された有識者会議(今では「不見識者会議」、よ;り正しく「皇室滅亡会議」と呼ぶむきもある)の提案は議会で否決され日の目を見ることはなくなった。
 変わって「皇統存続のために旧宮家の方々に皇族復帰して貰う」という提案が出された。小泉大臣が内閣総理大臣を退いた九月以降の最初の国会で、である。
 民主党・共産党・社民党、そして与党であるはずの公明党はもとより、自民踏左派などより大きな抗議が上がったが、ネット世論を背景とした国民の声に押されて皇族復帰が可決。
 具体的な皇位継承順位などはそれからまた幾ばくかの時を経る必要があったが、それも一年もまたずに決定された。
 はれて皇統に連なる宮家の方々が復活した。


 現皇族(と呼ばれた陛下近親の方々)の内親王殿下・女王殿下もこれらの宮家へと嫁ぎ、皇族として新たな生活に直面した宮家の方々を内から支えておられる。仲むつまじいその姿は国民から微笑ましく見守られ、もって夫婦の、家族のあり方というものを浮き彫りにした。
 中には男子の御子様を授かる宮家もあり、皇統問題は遙か未来の問題となった。


 もしあの時。
 この選択肢を外していたのならば。
 今はどうなっていたのだろう?
 あの時、太古から受け継ぐ血筋を途絶えさせていたらどうなっていたのだろう?
 この国は?
 それが空虚な想像だから背筋を凍えさせるだけで済んでいる。
 だが、もしあの時我々の父親・母親の世代が行動してなければ、我が国の中心たる皇室はどうなっていたのだろうか?
 馬鹿げた妄想の虜(としか言いようのない)直系・長子継承、女性宮家が現実になっていたら?
 我々は何処の誰とも知れない者達の血筋を『陛下』と呼ぶことになっていただろう。
 改めて今思う。
 陛下は、我々の陛下は太古よりの地を受け継ぐ彼の方々の中にしか存在しない、と。
 先代陛下の崩御を幼少の頃にテレビのニュースで眺め、皇太子殿下が今上陛下となられ、そして今の御代がある。愛子殿下も今は一人の母として宮家に嫁いでおられる。喜ばしきことに男子に恵まれ、これまた皇位継承権が授けられている。もっとも、この方が皇位を継ぐことはまずないだろう。継承権の順位に従えば他の宮家の方々が先に来ている。もしこの親王殿下が皇位を継承するとしたら、立て続けに不幸が起こる以外に考えられない。
 考え得る可能性としては、親王殿下の御血筋が遠い未来において即位為されることくらいだ。
 それまでは宮家の一つとして我々国民にそのお姿をお見せしていただくのが限界だろう。いや、それにしたって我々はそのお姿に皇室の安泰を見て取るわけなのだが。


 何にせよ。
 皇室の末永き繁栄を祝うと共に、ここにその永き存続を心より願おう。



情報を独占する特権をもちながら「対案を出せ」などという輩に一矢報いていると思います。


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